カンチャナブリの橋にて

2001年、1月25日、シドニーを出発し、2月3日までタイに出かけました。
ピピ島ではガイドや警察など地元の人たちと夕飯を食べたりしました。その人達が2005年の津波の被害にあったと思うと残念な気持ちになります。
バンコク、プーケット、ピピ島を巡る短い旅行です。バンコクからのツアーはすべてインターネットで申込んだ旅行代理店のバスツアーを利用。


気温30〜36度、国土面積は日本の1.4倍、人口の1割がバンコクに住む、通貨単位はバーツで補助貨幣にサターンがありますが、赤バスに乗るか、スーパーで買い物でもしない限りサターン硬貨を見る機会がないかも知れません。

国名 タイ王国、(Kingdom of Thailand)
 ( 旧 シャム [Siam] )
首都 バンコク(タイ語では略して「クルンテーブ」)
 正式名:クルンテープ・マハナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラー・アユタヤーマハーディロックポップ・ノッパラッ・ラチャタニーブリーロム・ウドムラチャニヴェード・マハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・サッカタッティヤヴィサヌカッムプラシット
国王 ブーミボン・アデゥラヤデーツ国王、
 ( チャクリー王朝 ラマ9世 )
通貨 バーツ(3.5円)
 ( 補助硬貨に 25,50 サターンがある )
時差 日本より2時間遅い
電気 220V 50Hz、コンセントはBタイプ、最近はAB兼用タイプが多い
電話 モジュラージャックは日本と同じ物、但しホテルに依ってはモジュラーを使わず、直接電話線をつなぎ込んである。

●エリア別特徴
・ 中央部 チャオプラヤー川の両岸が穀倉地帯、アユタヤ王朝以来のタイ族の中心地
・ 北部 1000m級の山々が連なる山岳地帯で少数民族が多い、チェンマイ、スコータイ等の古都がある
・ 東北部 全般にやせた台地でラオスと同じラーオ族とカンボジア国境付近はクメール族が多い、東北地方の入り口はナコーン・ラチャシーマで「コラート」とも呼ばれる。
・ 南部 インド洋、アンダマン海と南シナ海、タイ湾の2つの海に面し、奇麗なビーチと沢山の島がある

1月26日 ダムヌンサドゥアク水上マーケット(Damnoen Saduak Floating Market)
 途中でココナッツファームという場所に立ち寄らされました。これがかの有名な「土産物屋引き回し」だと気付きました。ここではココナッツを使った料理の様子や土産物屋を見学。それからダムヌンサドゥアクへ向かいます。
バンコクから南西に約80km、水上生活者の住居が並ぶ運河を物売りの小船が行き交う場所がダムヌンサドゥアク。
 観光客が多く、ここでの物価は少々高め。
運河には野菜や果物を載せた いく艘もの船が所狭しと往来しています。
昔ながらの水上マーケットの風情を残しているのはここ ダムヌンサドゥアクだけだそうです。
 記念にと、名物果物、ドリアンとやしの実のジュースにチャレンジしてみました。ドリアンの匂いはバスの中までついてきて臭かったです。
1月26日 アユタヤ遺跡見学 (夜ライトアップされた世界遺産を訪ねて)
チャオプラや川支流に囲まれた島の町、アユタヤ。
クルージングを利用したりバンコクからのバスを利用したツアーに参加できます。
個人旅行の方は現場で、トゥクトゥクを借りてのタクシーツアーが便利なようです。
バンコクから北へ80km、田園を眺めながらバスに揺られていくとアユタヤに着きます。
ここは1350年から417年間、5つの王朝、35人の王が歴史を築いた場所。
ロンドンのように見事」と言われたこの都市も、ビルマとの戦いを経て1767年陥落。
ビルマ軍の手によって当時の建造物の多くは破壊されました。私たちが見れるのは、土台だけが残された寺院、頭のない仏像など、当時の栄華をしのばせる寂寥とした遺跡です。
平家物語ではないですが「盛者必衰、つわものどもが夢の跡」。寂しい感じを覚えました。

 まず訪れたのは3人の王が眠る「ワット・プラ・シー・サンペット Wat Phra Sri Sanphet 」妹と二人で象の背中に乗ってここを訪ねました。 日が落ちてから 再び訪れると、3基のセイロン様式のチェディがライトアップされてとてもきれいでした。

写真を見て、「是非とも訪れたい」と思っていたのが「ワット・プラ・マハタート Wat Phra Mhathat」。ここでは頭部だけを切り取られ菩提樹の木の根に取り込まれた仏像があります。入場料を支払って遺跡にはいると、大きな座仏の前に首のない仏像がズラリと並ぶ様子が目に入ります。過去、高さ44mの仏塔があったといわれています。

この向かいにあるのが「ワット・ラーチャブラナ Wat Ratchaburana」 8代ボロムラーチャー2世が、1424年、王位継承争いで倒れた2人の兄を火葬した後に立てたものだそう。
 ツアーに組まれてないもので、見たかったというのはやはり、山田長政の「日本人町跡」です。朱印船貿易で栄えた家康時代には1500人以上の日本人がこの町に住んでいたといわれるから驚きです。これは島の外、南東にあります。
1月27日 プーケットへ飛んでパトンビーチへ
バンコクから約1.時間。
私たちがプーケットに着いた頃はすでに夕方でした。
プーケットの飛行場は町やリゾート地から離れた北部に位置し、私が予約をしていたホテルまで約2時間かかりました。ホテルはパトンビーチの最も北に位置する「パトンロッジ」。
ビーチから少し遠いので、ここで初めてトゥクトゥクを利用しました。
トゥクトゥクはタイでの小型タクシーで、観光客などに運転手が声をかけて客をひきます。
値段は事前の交渉制になります。
ビーチを歩くと うるさい というくらい道路に並ぶ運転手が声をかけてくるので、わざわざ呼び止める必要もありませんでした。
しばらくビーチで泳ぎましたが、水温が暖かくて、とても気持ちよかったです。
プーケットの見所
●プーケット・ファンタジー・・・タイ舞踊、マジック、ショーが楽しめる
●プーケット水族館 ・・・プーケットの海に棲む熱帯魚やサメがいる
●プーケット動物園 ・・・最近オープンした、ワニもいる
●バタフライガーデン・・・数千もの蝶々が舞う
●蘭園&タイビレッジ・・・蘭の花が一杯ある
 ●ラン・ヒル    ・・・タウンの夜景が奇麗、昼間はロン島や近くの島が見渡せる
●プロンテップ岬  ・・・夕日が美しい、地元の人も訪れる景勝地
●サイモンキャバレー・・・女性より奇麗?おかまショー
●トンサイ滝    ・・・乾季は水がないかも?
 ●カトゥ滝     ・・・地元の人にも人気、更衣室もあるが乾季は水がない?
●ムエタイ     ・・・タイ式ボクシング
 ●シリー島     ・・・シー・ジプシー村
 ●ヒロイン像    ・・・プーケットを救った女性戦士像
 ●プラ・トン寺院  ・・・肩から上だけが地上に出ている変わった仏像。
1月28日 ピピ島 ピピレ島
この日、プーケットのホテルまで迎えに来たツアー会社の船に揺られ、ピピ島に向いました。
 船は、1.5時間ほどで島に到着。
 ピピの島はピピ・ドンピピ・レ島に別れ、ピピ・ドンに人が生活し、施設も整い観光でにぎわっています。
 大半の観光客はヨーロピアン。映画「ビーチ」の撮影が行われてからは日本人観光客も増えたようです。着いたのは夕方だったのですが、ロングテールボートのトンさんに誘われてピピ・レに向いました。ピピではシュノーケリングツアーが開催されているようですが、私たちは時間が足りなかったために、水上タクシーであるロングテールボートを利用しました。ツアーに比べ少し割高になりますが、値段は交渉しだいです。 目的はもちろん映画の取材に使われた「ビーチ」を見に行くためです。ピピ。レに行く途中、その島の岸壁にバイキング洞窟が見られます。この中にはツバメの巣を取るための竹梯子が見られ、地元の人が命がけでこれによじ登っているそうです。
 私たち二人はそのビーチでシュノーケリングをした後、実際に島に上がりました。トンさんは取材に使われた場所や、映画の取材の様子なども話してくれました。
 帰る頃には日が落ち、夕日がとても綺麗でした。
夜になったらガイドの二人に誘われてホテルで夕飯を食べました。
ピピ島の警察官や地元の住民たち8名ほどで一緒に円卓を囲んでトムヤンを食べました。

その後ガイドの二人に誘われて、飲みに行きました。
1月29日 ピピ島 バンブー島 島を去り、プーケットへ戻ります。
1月30日 プーケットで ジェームズボンド島ツアーに参加
 町を歩いているとインフォメーションセンターが何処かしこに見かけられます。
 私たちはバングラロードにあるセンターでこのツアーを申込みました。
 このツアーのメインはジェームズボンド島と呼ばれるタプ島とピン・ガン島を訪ねる事。
その名の通り、映画「007 黄金の銃を持つ男」の取材に使われた島です。
ここへはプーケットの波止場からロングテールボートを使って向うのですが、途中、水上ボヘミアンとも呼ばれるムスリムの水上村に寄りました。
ここでは、イスラム教徒であるタイ人が、その名の通り、水上で生活を営んでおり、学校も、ムスリムの聖杯堂も水上にあります。
ココでタイの人達は漁業と観光で生計を立てているそうです。
メインのジェームズボンド島ですが、映画でみたそのままを目の当たりにする事ができました。
1月31日 バンコクへ戻ります。
2月1日 王宮巡りツアーに参加

-ワット・プラケオ (Wat Phra Kaeo)別名 エメラルド寺院
ここでの期待は煌びやかな本堂の中にあるエメラルドブッダでした。
この仏陀は全身ひとつのヒスイで出来ており、不思議なパワーを持っていると言われます。
例えば、盗難防止のためにかぶせられた石膏が雷を受けて剥げ落ちた、とか、運搬途中に沈んだはずの仏陀が海岸へ打ち上げられたとか。この仏陀が持ち去られる所に反乱と陥落、悲劇が起こるといわれます。
わくわくしながら、そのキラキラと光る眩いばかりの本堂の中に入ろうとするといきなり止められました。
ちょうどそのとき、女王がプラケオを訪れるらしく、警備体勢がひかれ立ち入り禁止になったのです。
「よりによって私たちが入るその時に限って !」
落胆と憤慨の入り交ざる気持ちで何度も何度も本堂を眺めていたら、外からエメラルドブッダが見られる場所がありました。
本堂に空いた少しの隙間を通して金色の衣装をまとった小さな(高さ66cm)仏陀が見えたのです。
この衣装は季節の変わり目になると国王自らが衣替えを行うのだそうです。
ワットプラケオの見所はそのキラキラ光る本堂のほか、アンコールワットの模型、3つの並び立つ塔にあります。

王宮 (Grand Palace)
ワット・プラケオと同じ敷地内にあり、国王はラーマ8世まで実際に住まわれていたらしい。
外から見ると、まずビクトリア様式の風格のある建物が目に入ります。これが「チャクリー・マハ・プラサート宮殿」
それから暑い中歩いてきてほっとしたのが「ドゥシット・マハ・プラサート宮殿」。広い敷地の中、クーラーが効いていました。
中央にラーマ一世の玉座や謁見台が置かれ、当時の戴冠式の様子もうかがえます。

ワット・ポー(Wat Pho)

寝釈迦 お釈迦様の足

王宮の南側にあるこのお寺は「寝釈迦寺」ともよばれタイ最大級、バンコク最古の寺院。
待望の寝釈迦像がおがめます!!
この中にあるやさしそうな顔をした金色のお釈迦様は仏陀が悟りを開き、涅槃の境地に達した事を意味しているのだそうです。
長さ46m 高さ15m。
なんとも巨大で しかも 穏やかな顔をされる仏陀を 何度も何度も眺めました。
またここにはマッサージ学校もあり、一般の人も講習を受けたり、マッサージをしてもらったりしているようです。
境内には遺骨が納められた小塔が林立していました。

ワット・ルアン(Wat Arun)
別名、「暁の寺」(Temple of the Dawn)が示すよう、ここは三島由紀夫の小説「暁の寺」が題材となった場所。
ロングテールボートの渡し舟に乗って2分、大仏塔と4期の小塔が船から見えてきます。
大仏塔はヒンドゥー教のシヴァ神の住む聖地である、カイラーサ山を象ったものといわれてますが、その表面は中国陶器の破片が散りばめられとても鮮やかです。
陶器の破片は太陽の光を受けて眩く輝やいています。

三島由紀夫の小説の舞台になった 暁の塔


仏塔は高さ79mもあり、本堂の回廊にずらりと並ぶ仏像も壮観。
アユタヤ時代にはまだ小さな寺院だったものが、トンブリー王朝時代エメラルド仏を治めることを決めてから、第一級王室寺院となったのだそうです。

この後、ラーマ1世が建立したワット・マハタート(Wat Mahathat)へ向かい、黄金仏像の前で タイの僧侶と一緒にお祈りをしました。

2月2日 カンチャナブリ「戦場に架ける橋」を訪ねて
この日のために、ビデオ「戦場に架ける橋」を借りて勉強しました。
第二次世界大戦中、ビルマへの軍需物資輸送のためクウェ川に架けられた橋です。
日本人は現地人や、何万人もの連合軍捕虜を犠牲にしてこの橋を敷設しました。
この橋を Death Railway Bridgeと英語で呼びます。
といっても私たちが見られるのは1943年に完成した木造当初の橋ではなく、戦後 新たに修復されたもの。私たちは橋を渡り対岸近くまで歩いていきました。
面白いのは狭い鉄橋なのに、人、バイク、自転車が通れる事。
列車が来た時には退避用のスペースが設けられているのでそこに避難します。
実際 この旧泰面鉄道を片道2時間位列車に乗って観光しました。
夕方になると、学校の子供たちが乗り込んできて、今ではこの鉄道も生活の一部と化していることを感じさせられました。
ここ、カンチャナブリへたどり着くまでバンコクより約3時間。
帰りは バンコクならではの「超渋滞」に巻き込まれ 4時間以上もかけてホテルへ戻りました。
2月3日 ホテルバンコクセンターをチェックアウト。国際線に向かいます。
帰国、19時に成田に到着。1年間の海外生活にも終止符を打ちます。