ホームステイ受け入れ

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通訳ボランティアとして役場に登録していたため、役場から時々ホームステイの依頼があったり、
ネットのホームステイウェブのプロフィールを見た人から直接 電話やメールで問い合わせがあります。

*大学の留学生受け入れの依頼や、観光目的で来る外国人からの依頼が多いですが、航空大学校の受験のため泊まりたい、とか、SAD(季節性感情障害)のため冬の間だけ暖かい宮崎で過ごしたいという日本の方もおられました。

最近は子ども中心に動いているので なかなか受け入れが難しいです。

2019年7月 ニュージーランド Oanh Le さん Homestay Webからの直接依頼
・ワーキングホリデービザで兵庫県宍粟市の障碍者施設でフルタイムでボランティアをしているオーアンさん。
ホームステイウェブのサイトを通して連絡がありました。

・7/28(日) 夕方 マユを連れて飛行場に迎えに。
この日の夜はヒロの友達も来て我が家に泊まりました。
夜はクラムチャウダーとタンドリーチキンにしました。
花火もしました。子供たちと一緒に折り紙をしたりして過ごしました。

・7/29(月) 主人はヒロの学校の面談などがありました。
私はオーアンさんと二人で青島を観光。
昼からは塾に行っているマユを迎えに行ってレストランで食事をした後、リクエストのあった綾観光へ。
つり橋が見たいということだったのでつり橋を見て、少し滝までハイキングして、綾城にもよりました。
夜は伯母がお寿司とマカロニサラダを持ってきてくれたので簡単な唐揚げだけ作って食べました。
この日の気温は35度あり、疲れました

・7/30(日) 前日の疲れもあり、午前中はゆっくり休みました。
午後は マユと私とオーアンさんで鵜戸神宮とサンメッセへ。
夕ご飯は 宮崎名物のチキン南蛮とパエリア。

・7/31(月) 午前中はゆっくり過ごし、市内をドライブだけしました。
県庁、主人の職場、駅などを紹介して数分で帰ってきました。
バス時間の1時間前にデパートで食事してバス停で鹿児島に行くオーアンさんを見送りました。

マユはオーアンさんにべっとりで、「いつ どこで だれが なにをした」ゲームや、パカパカ折り紙のゲームなどを教えていました。
手紙を私が教えた英語で一生懸命書いて渡したりもしました。
オーアンさんはマユのことを「妹みたい」と言って喜んでいました。
マユはオーアンさんと別れるのがとてもさみしかったみたいです。

コロナウィルスが世界に広まった4月のさなか、ニュージーランドのオークランドにいるオーアンさんにラインで連絡を取ってみました。
動画も送られてきました。ロックダウンで外出ができず、家族にも会えなくてさみしいけれど、オンラインで弁護士の勉強を頑張っているそうです。
マユのことを「日本の妹」と呼んでいました(#^.^#)
2015年7月 イギリス ハンプシャー Emma Hale(21)、Claire Soutar(30)   ボーイスカウトのジャンボリーで来日

2015年はボーイスカウトの世界ジャンボリーが日本(山口県 光市)で開かれました。
このために世界各国からジャンボリーにスカウトが集まり、光市にはオリンピックよりも大勢の外国人が集まったといわれます。

ジャンボリーに参加するスカウトはジャンボリー本番前は日本各地に散らばってホームステイをし、日本文化を体験します。
宮崎のボーイスカウトには英国人スカウトがやってきました。
そして 宮崎のスカウトらの受け入れまでのやり取りの翻訳を私が担当することになりました。

我が家には英国 ハンプシャー州のスカウトリーダーが泊まりました。

青島神社にて 流しそうめん体験 習字も体験 平和台公園にて ジャンボリーに送り出す(県庁にて)

宿泊したエマとクレアのこと・・
・エマは公民館のようなところで子供たちを指導している仕事、クレアも子供たちに関わる仕事をしているそうです。13、4歳ごろに自分の意思でボーイスカウトに入ったのだそう。
・エマはダイブマスターでマレーシアでダイビングに関わる仕事をしていて1月に英国に帰ってきたばかり。
・クレアは10年前からカブ・リーダーとして活動、毎週 火曜日 1時間はボーイスカウトの活動をしているということ。(具体的なことを聞くと良かった)
・エマはポーツマスに近い町に住んでいる。クレアとは40分離れたところに住んでいる。宮崎のように交通量や信号機は多くはない田舎に住んでいるそう。
・学校でチャールズ・ディケンズのことは習うけど 本は読まないとのこと。 私の発音が悪かったのかデイヴィッド・コパーフィールドを知らなくて、クリスマス・キャロル以外にはほかの小説を思い出せない様子。。
・二人は4年前 一緒にスウェーデンでのジャンボリーに参加したのだそう。

【ボーイスカウトのことを教えてもらった】
・イギリスにはデンリーダーという立場はない
・敬礼をするときはビーバーもカブも三指。
・ティーンの年頃になると どの国も やりたいことを見つけた子供たちはボーイスカウトを辞めていくことが多いのだそう。
・ビーバーもテントに宿泊がOKで、一泊できるのだそう。

・ヒロに一番楽しかったのは?と聞いたら「一緒にボールで遊んだこと」と言っていた。
・お別れの朝、マユはなかなか幼稚園に行きたがらなかった。

2010年7月 オーストラリア・シドニー (19歳) 1泊2日 NPOを主催している知人M氏からの依頼
●5月末に受け入れ予定だったケリーですが、百日咳になったため7月に延期になっていました。

●金曜日の昼にはMさんや国際大学の学生たちとケリーを囲んでランチを食べ、夜には市民プラザにラボの仲間たちが集まって持ち寄りディナーパーティをしました。
そのまま我が家でステイ。
Hideはダムの放流でいなかったので三人だけの少し寂しい受け入れでした。
金曜の夜は、シドニーのことなど、私が前年に撮った写真をみながらいろいろと話をしました。
両親が中国人のケリー。日本語もとても上手でした。パラマッタ近くに住んでいるそうです。

【日程・観光】 翌日 土曜日には綾につれていきました。家を出るときには太陽がさんさんと照っていたのでサングラスに帽子を用意したのに綾に行く途中の国富で急に雷と大雨。
途中引き返そうと思ったくらい土砂降りでしたが、綾に入ると 晴れてきました。本当、変な天気でした。
ワイナリー → 照葉大橋 → ランチ → 綾城 を見て回って市内へ戻りました。 そのまま福岡行きのバスに乗せてさようなら。
Hiro君は土曜日の朝起きるとすぐに「お姉ちゃんは(どこ)?」と聞いてきました。
Hiro君は綾を回っている間もずっと機嫌がよく ケリーにもよく話しかけていました。

2010年7月 フランス郊外 (42歳、37歳、3歳) 1泊2日 Homestay Webからの直接依頼
●Carine(キャリーナ), Guillaume(ギ・ヨンム) Titouan(ティトゥワン)君の受け入れ。だんなさんはBMWの経理、奥さんは旅行のプランを立てる仕事をし、息子はHiro君より3ヶ月年上(3歳)で幼稚園に通っているとのこと。もう一人の14歳の息子はだんなさんの親とギリシアに旅行に行っているのだそう。

●フランスでは5週間の休暇が取れるらしくて、今回はその休暇を利用して家族旅行をしているのだそう。日本は三度目の旅行とのこと。
フランスから東京に飛んで、石垣島に行ってダイビングしたりしたあと、福岡に飛び、車で福岡→長崎→熊本→鹿児島を経て宮崎にやってきました。これからは車で阿蘇、そして由布院に向かうのだそう。

●ティトゥワンはHiro君と二人で大はしゃぎ。一緒にかぶと虫を見たり、ソファーに乗ったり、ぐるぐると走り回ったり。
いつも8時には布団に行くHiro君ですが、興奮して寝られないようで、10時過ぎにようやく寝ました。
翌朝 起きると「お友達は?」と何度も聞いてきました。
また幼稚園から帰ってからも「お友達は?」と聞きました。


●フランスに帰国後も何度かメールのやりとりをしました。私がマイケル・ムーアの「Sicko」をみてフランスはとてもいい国だと思ったと書いたら、キャリーナをはじめ、多くのフランス人は現在廃れてきている社会保障制度に不満を持っているらしく、映画のように「幸福な国」とばかりは考えてないそうです。そして昔と違ってフランス人のマナーの悪さも目立ってきて残念だと書いてました。


●翌朝10時過ぎに起きてきて朝食を食べ、12時前に家を出ました。私もちょうど仕事がなかったのでおしゃべりを楽しみました。


【日程・観光】
●私たちは観光に連れて行きませんでした。自分たちで車を使って宮崎を観光したようです。初日は青島に行ったようなので、綾町を地図で案内しました。

【食事】
お好み焼き、そうめんを少し夕飯に。
朝食は食パン、目玉焼き、大豆のからあげ、枝豆が好きなようで、枝豆も出しました。


【おみやげ】
マカロンの入ったキャンディーをもらいました。
キャリーナが日本料理が好きだそうで、太巻きを毎週作るのだそう。
大豆のから揚げを気に入っていたので、お土産にあげました。あとでメールが来て、親戚にもとても好評だったそうです。
羊羹を車の中で食べるようにと渡しました。

2009年11月 アメリカ (女 16歳 17歳) 3泊4日 役場からの依頼
宮崎市の姉妹都市であるバージニアビーチ市からの高校生を2名(ギャビーとジェシカ)を受け入れました。
高校生たちは全員でで31名やってきて、
宮崎アートセンターなどでミュージカルの公演をした収益で日本滞在することになっています。
パフォーマンスかかなりハイレベルで素晴らしかったです。
彼女たちも自分たちの演技をかなり誇りに思っているようでした。

【日程・観光】
私たちは連れて行く必要はありませんでした。
フローランテ、青島神社や鵜戸神宮を巡る予定でしたが大雨のため、美術館やイオンなどを見て回ったそうです。。
滞在中曇りと雨で残念!イオンはアメリカにあるようなお店が沢山はいっているので、もっと日本のものが見たかったと言っていました。


【食事】
タマネギがダメだということでした。
初日だけ食事は用意すれば良かったので、
お好み焼き、ポテトサラダ、大豆の唐揚げなどをして、友人Kさんにデザートを持ってきてもらいました。
お好み焼きは比較的好評でした。
2日目はアートセンターにてバイキング、3日目は公演があったため、終わってから協会から私たちの分までハンバーガーを戴きました。
高校生なのでお菓子を喜ぶかなと思っていましたが、あまり食べてませんでした。
朝食は味噌汁などの日本食よりも、ベーコンエッグと食パンを喜んで食べていました。


【おみやげ】
ギャビーからはシナモンの臭いのするキャンドル、家族写真の入ったフレームを戴きましたがこれはどうしたものか・・・
ジェシカからは好きな音楽が入ったCD、教会で縫ったというキルトマットをもらいました。
最終日にこちらからもお土産を渡そうと思っていたけどすっかり忘れていて、ごめんなさい・・


【エピソード】
最初に出会ったときに、私たちがどんなものか紹介しましょう、ということで歌(アメージング・グレース)を歌ってくれました
その歌があまりに素晴らしくて涙が出そうになりました。


ミュージカル後に見せた涙で、かなり練習を頑張って来たんだなぁと思いました。

パフォーマンスが目的で来たので 日本文化や言葉、私たち家族の仕事や趣味にはあまり興味は無い様子。

リードボーカルでもあり、リーダー的存在をみせていたギャビーでしたが、お母さん子らしく、会えないことで寂しい思いをしていたようです。スカイプでお母さんと話すと急に笑顔が戻ってきました。
ジェシカも家族と話して満足した様子でした。
家族ぐるみの仲良し二人のようです。

2009年6月 インド女性 2泊3日 NPOを主催している知人M氏からの依頼
インド第三の人口をもつバンガロールという街からダシミさんがやってきました。
とても素敵な女性で、一緒にいて楽しく過ごせました。
インドのことは分からないことばかりでしたが、ネットでプライベートの写真をみせてもらったり、文化を教えてもらいインドを身近に感じることが出来ました。
Hiro君もダシミさんを「お姉ちゃんお姉ちゃん」と言うようになりました。短い期間でしたが素敵な時間を過ごすことができました。

ゴミの分別に興味があるらしく、家庭での分別を説明しました。


堀切峠にて 歌のパフォーマンス
送別会にて
ダンスなど楽しかった
【日程・観光】
初日の夜は数人のインド人の旅行者と、ホームステイ家族で一品持ち寄りのパーティをしました。
翌日はHideが研修でいなかったため、Hiroと3人で
に行きました。
夜は友達家族を招いて我が家で食事。
3日目は堀切峠、都城の
関之尾の滝などを見学して夜はコテージヒムカにて送別会。

【食事】
ヒンズー教なので肉類はだめですが彼女の場合、卵・魚介類もだめということで食事は最も心配していました。
しかしほとんどの料理はおいしいと言って食べてくれました。特に綾のレストランはとても気に入ってくれていて、私と彼女で二人で贅沢なランチをいただきました。
二日目はKさん夫婦を招いて、というかKさんに作ってもらったベジタリアンフードを戴きました。

【おみやげ】
沢山もらってもうしわけなく思いました。私の母や、私の友人にもあげていました。
シルクのストール、クッションカバー、サンダルウッドの線香、石けん、バッチ、壁掛けキーホルダーなど。

【エピソード】
宗教
の話は極力さけようと思って、神社には行かないようにしました。
ところが、ダシミさんの方から宗教は何ですかとか聞いてくるので、話して日本人の宗教観とかを少し話しました。
ダシミさんの家族は宗教間の争いが嫌なので、宗教には固執していないのだそうです。よかった。

お父さんは大学で宇宙工学を教えていたらしく、お母さんは裁判所で、手話の通訳をしていたそうです。お兄ちゃんはHideと同じ年ですが、結婚しないと言っているそうです。お姉ちゃんは旦那さんがphdを取るためにクライストチャーチに行っていて、お姉さんも一緒に勉強をはじめて、将来はそこに住みたいと言っているそうです。

従姉妹など20人以上シアトルの近くに住んでいて、写真をみせてもらいました。
二人の子供を養子にした従姉妹の話など聞きました。「シアトルを訪ねたら」と聞いたら、アメリカはあまり好きでないそうです。
クライストチャーチには行きたいと言っていました。

フェイスブックを教えてもらいました。


2009年6月 イングランド(男 21歳) 3泊4日 Homestay Webからの直接問い合わせ
四国にてお遍路さんをしていて44まで巡ったそう。
宮崎のホームステイの後は
鹿児島でホームステイして阿蘇へ行き、長崎で遍路中に会った人にと再開し、福岡の祇園祭をみるのだそう。そして88カ所巡りを再スタートするらしい。
すぐ覚えるので頭のいい人だなぁと思っていたらウォーリック大学を卒業してたそうです。
私たちも一緒にいて楽しかったです。
将来は
弁護士になるためにロースクールへ行くので今はホリデーを楽しむのだと言ってました。

【日程・観光】

6/5(金) 駅に向かえに行く→ラボの活動に連れて行く
6/6(土) 綾を一通り巡る。
6/7(日) 鵜戸神社→青島神社→青島で泳ぐ→一緒に買い物
6/8(月) 保育園に一緒に行く→街におろして私は仕事→県庁に迎えに行く→移民局へビザ延長の申請→宮崎神宮→平和台公園→ホームステイ関連の4家族でバーベキュー(お寺にて)

この後は お寺のG宅に2泊 → Y家に4泊 → T宅に2泊


*神話の勉強を少ししていたので神社では少しだけ説明をすることが出来ました。

【食事】
金曜日−−タクショクのご飯(この日はグラタンなど)とたこ焼き
土曜日−−朝食はご飯と味噌汁と魚 夕飯は親子丼
日曜日−−朝食はパンと卵焼き 夕飯はポポ○ーレで外食 アジアン・コースを頼む
月曜日−−朝食はご飯と味噌汁とスクランブルエッグ リンゴ 夕飯はBBQ
梅干しは苦手なようす。


【エピソード】
・朝シャワー
・勉強熱心で、私が車の中で教えた日本語をすぐに応用して使ってました。私も日本語の難しさを改めて実感。
スカイプで土曜日の夜は30分以上 イギリスの家族と話していました。こちらには画像が映りませんでしたが会話を聞いているととても良さそうな家族でした。
・着いた日に
観光ビザの延長申請をしました。私が身元保証人になりました。申請には明確な計画が必要とのことだったのでMさんに頼んで、鹿児島、熊本のホームステイをアレンジしてもらい提出しました。
月曜日には申請結果が出るとのことでしたが、木曜日になって急に「外国人登録」が必要と言われて金曜日に役場に行ったようです。


【反省】
特にないかな?ビザの件や他のホームステイ先のアレンジなど 楽しくお世話させてもらいました。

2009年1月 韓国(女 22.歳と23歳) 2泊3日 役場を通して大学からの依頼
【日程・観光】
宮崎大学での6泊7日の日本文化体験プログラム旅行のうち、2泊だけホームステイ先に滞在。
金曜日→夜、大学にピックアップ
土曜日→AM・綾ワイナリー、城・吊り橋観光→PM・街におろして二人だけで買い物→夕方青島→夜・お好み焼き店→スーパーへ買い物。
日曜日→10時に学習センターへ連れて行く。

【食事】
明太スパ、照り焼きチキン、コンソメスープ、朝食は味噌汁と焼き魚、フレンチトースト・ポタージュスープ。
お好み焼き店に行くと楽しんで作って食べてました。
二人ともお酒が好きだったので焼酎、ワイン、ビールを一緒に飲みました。
韓国の焼酎はもっと臭いらしく、日本の焼酎の臭いもいやがらずに飲んでました。

【おみやげ】
たくさんの韓国のりと、タペストリー、コースター、大学のTシャツをいただきました。
韓国のり大好き、ありがとう!

【エピソード】
日本人と似たフィーリングがありますね。食事もおいしい、おいしい、と食べてくれてうれしかったです。
やはり女の子です。綾やスーパーでの買い物にたくさん時間を使っていました。

日本語も少しわかりますが、会話はもっぱら英語で。
韓国には日本語と似たような発音の言葉があるとは知っていましたが(新聞・鞄・図書館・三角関係など)、宮崎弁の「テゲ」は韓国でも同じ意味だということを聞いてびっくり。笑えました。

Hiro君を抱っこしてくれたり、あやしてくれたりしてくれました。
「ジェム ジェム ジェム〜」と話しながら手を顔の前でかざすとHiro君はおとなしくなりました。

おみやげは近くのスーパーでたくさんチョコを購入していました。

夜は12時頃までHideと会話して盛り上がってました。Hideは英語の表現力が少し復活したようです。
日本のヨン様人気やボーイフレンドのこと、将来の仕事のことなどを話しました。

韓国は左ハンドルで日本と同じ左レーンを走るそうです。びっくり。世界でもめずらいいことらしいです。
日本の道路がきれいなことに驚いていました。
また韓国は数え年で年齢を数えるらしいです。

やはり、自動販売機の多さに驚いていました。

【反省】
*もう少しゆっくり観光しても良かったかなと思います。無理にあちこち行き過ぎました。
日本茶のおみやげを探していたので、自宅においている日本茶でもあげれば喜んでもらえたかもしれません。

2008年9月 フランス(男女 22.23歳) 2泊3日 Homestay Webからの直接問い合わせ
美男美女でとても礼儀正しいカップルでした。日本のこともよく勉強していて、神社での二礼二拍手一礼まできちんとマスターしていました。

【日程・観光】
1日→宮崎駅にピックアップ→宮崎神宮→平和台→(保育園)→シーガイア
2日→朝、青島におろす→自力で市内に行き散策散策

【食事】
納豆を少しあげたらやはりいやがってました。
ポテトサラダ、味噌汁・焼き魚などなど

【エピソード】

「太平洋で泳いだ」と、友達に言いたかったらしく、9月に青島で泳いでクラゲにさされたようです。(ちゃんと警告はしましたよ・・)

フランスの
食洗機は洗濯機くらいの大きさがあるらしく、我が家の小さな食洗機をみて驚いてました。

マイケル・ムーア監督の映画「
Sicko」を見たあとだったら、もっとたくさん聞きたいことがあったのに、と思います。

Hiro(当時一歳)の通う保育園に一緒に迎えに行きました。園の中をのぞいて、小さな子がいることにかなり驚いていました。
「こんなに小さな子を預けるの?」と不思議そうでした。
そういえば、NPOで働いていたカンボジアの人(23歳)を通訳していたとき、うちの子(1歳)を保育園に預けてることを話したら、小さな子供を預けていることにかなり驚いていました。それから保育園・幼稚園では「あいうえお」など文字を教えていることを話したら「ぼくは小学校の時に習った」と早い教育にとても驚いていました。

日本語が話せないので、Hideは英語で会話をするのに少し疲れた様子。

【反省】
*フランスの知識がもう少しあれば、よかったかなと思います。
2006年11月〜12月 ニュージーランド(女22歳) 4泊5日 役場を通して大学からの依頼
教員の免許を取る予定の子で、今は教師として働いているようです。
Cheerfulという言葉がぴったりのチャーミングな子でした。
Mika妊娠6ヶ月の安定期中。


【日程・観光】

観光に連れて行く必要はなく、平日の朝・夜に大学に送り迎えをしました。
Mikaは会社から午後休・午前休をもらって送迎しました。
大学がショッピングモールなどに連れて行ったよう。

【食事】
メニューは何日も前から考えてました。(はじめてのホームステイ受け入れで張り切ってました)
寿司をとって、Mikaの職場の人と一緒に食べたり、おばの家でおでんを食べてもらったりしました。
とにかく日本を味わってもらいたく親子丼、天ぷら、刺身、茶碗蒸しなど日本食ばかり出しました。
梅干し、納豆も用意。
ですが・・・あまり日本食は好きではなかったらしく朝のベーコンエッグとパンにほっとした様子を見せていました。

【おみやげ】
ラグビーのタペストリーや、子供が生まれることもあって、羊のガラガラなどもらいました。
子供へのはじめてのプレゼントをもらってとてもうれしかったです。

【エピソード】
おみやげに日本風のデザインのブックマークなどを購入してプレゼントしました。
せんべいや日本のチョコ、キャンディー・を学校に持たせると喜んでくれました。若い子はお菓子が好きなのかな。
いらないジーンズなどをあげたら「本当にいいの?」と喜んでもらってくれました。
自動販売機の多さ、道路脇の看板の多さや道路に書いている文字に驚いていました。

【反省】
*がんばって食事を作りすぎて日本食にこだわりすぎました。
毎日食べている普通のものを作れば良かったです。